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娯楽小説ですが考えさせられました

ちょっとおもしろい文章を見つけました。作品そのもののおもしろさとはまた別ですけど…。いや、けっしておもしろくないというわけではないですけど…。
ジュール・ヴェルヌの『20世紀のパリ』(ブロンズ新社、菊地有子訳)という小説の登場人物の一人が語っていました。
長いですが引用します。
昔ならジャーナリストになれただろう。君の言うとおりだよ。だが、それは新聞を信じて、政治にかかわっていた中産階級がいたころの話だ。今は、いったい誰が政治をやるかね。国外の情勢はどうだい。何もない。もはや戦争はありえないし、外交もすたれてしまった。国内はどうだろう。まったく平穏そのものだよ。<中略>もう誰も選挙で熱狂しない。国会議員の息子が父親の跡を継ぎ、まるでおとなしく勉強する子どものように、静かに立法者の職を全うしている。<中略>ジャーナリズムはもう二度と成立しないだろう。百年前に、ジャーナリズムを濫用したせいで、その報いを受けているのだ。読む者がいなくなり、その代わり、誰もが書くようになった。<中略>さて、こうした新聞の濫用が、ジャーナリズムに死をもたらしたのだ。なにしろ、書き手の方が読者より多くなったのだからね。(p.160~161)

ヴェルヌは1860年頃に百年後を想像しつつこの文章を書いたのですが、まるで今のようではあります。
ジャーナリズムの衰退というのはそこはかとなく感じられないでもありませんが、政治の衰退と軌を一にしているのかもしれません。最大の原因なのかも。ジャーナリズムの責務として政治をチェックするということはあるわけですから。
また、ネットの隆盛により誰もが発信するようになったこともあるでしょう。そう考えると、新聞はネットに迎合するよりも、対決していくべきではなかったかとも思えます。ネットと新聞の違いを思い知らせるくらいの気概で。
ネットと共存しようとしつつある新聞を素材としてはいますが、切抜き速報自体は対決姿勢を取ってもいいように思います。紙メディアだからこそいい。そんな部分を前面に押し出して。

もうひとつおまけに引用しておきます。
企業家にとっては、育てるのも建てるのも同じことなのである。実のところ、教育はいささか堅牢さには欠けるが、建設の一分野にすぎないのである。(p.19)

経済こそがすべてに優先する世界。ぼくらの世界もヴェルヌの予想よりは歩みは遅いですが、同じ方向に向いているとは思います。ある意味さっぱりした世界ではあります。そんな世界での、ジャーナリズムのありようとは?日経新聞なんかがひとつの解答であるかもしれません。
経済という面に特化することができるゆえに思い入れなしに冷静に報道しているようにも見えます。

20世紀のパリ
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